■のれん。
ラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)が
初めて日本の土を踏んだのが一八九〇年。
『極東の第一日』という本に初めて見る日本の街の印象と共に、
暖簾について目をとめている。興味深いので抜き出してみた。
「暖簾には日本の文字か中国の文字が書いてあり、
そのために世にも珍しい美しいものになっているが、
文字の配列が縦書きになっていることなどもわかってくる。
見ていくと一般の人が着ている着物の地色は、紺色が大部分を占めており、
その紺色がまた、店屋店屋の暖簾の色をも支配していることなどもわかってくる。
それから人足の着ている着物にも、店屋の暖簾にあるような、
奇妙な文字が記してあるのが目につくが、
どんな唐草模様をもってきても、この文字の生き生きとした均斉美は出せない」
「日本人の頭脳にとっては一個の表意文字は、
一個の生きた絵なのだ。物も言うし、身ぶりもする。
つまり、こうした生きた文字は人間の顔と同じように笑ったり、
しかめっ面をしたりする生きている文字なのだ」。
もとはといえば冬の寒さを防ぐために、
簾と重ねて禅寺の入口にかけたのが最初といわれる暖簾だが、
平安時代になると商号や屋号を記して看板の役を担うようになる。
商号や屋号は店の顔だから、商いの信用や権利を暖簾に重ねるようになり、
守る、あげる、おろす、疵がつく、汚す、分ける、古い、などの語句と結び、
商屋の象徴になった。
高山の古い町並みでもこうした暖簾を数多く目にすることができるが、
いずれも長年の風雪や雨で色が抜け、
生きた文字が実に深みのある彩りを放っている。