■罪ほろぼしのお不動さま
高山市内を二分する宮川にはいくつかの橋がかかっている。
河畔が美しい中橋や、奇怪な手長・足長像のある鍛冶橋は
観光客にも人気があり、車の往来もはげしいが、
そんな橋とは対照的なのが不動橋だ。
歩くひとが互いにすれ違うのもやっとという木の橋は、
「お不動さま」の愛称で親しまれる不動明王へお参りするために、
むかしから参拝者が利用している。
川向こうから眺めるとまるで北斎の世界から抜け出たような不動橋だが、
そのたもとに先のとんがった不思議な赤いトタンが見える。
ここが霊験あらたかな栃目不動明王が鎮座している御嶽教飛騨教会だ。
参拝者のなかには1時間もかけ歩いてくるお年寄り人もいて、
「健康がなによりものご利益」と日参を欠かさない人は少なくない。
この日、朝からあかり窓に陽がのぞき、暗闇の隅々が照らしだされていた。
「きょうはめずらしくお不動さんの顔がよく見えますよ」
ろうそくを片手に、参拝者がうれしそうによろこびを口にした。
栃目不動明王は身の丈4m80cm、
背中に火炎の部分をいれると7メートル以上もあるという大きなもので、
彫刻家都竹峰仙23才の時の作品だ。
この栃目不動明王が生まれるには不思議ないきさつがあり、
御嶽教飛騨教会の行者が御嶽山で神からお告げを受けたことから発する。
昭和7年頃に御嶽教飛騨教会では
不動明王をあらたに造ろうという話が持ち上がっていた。
ところがどの仏師にお願いしたらいいものか、
不動明王に使用する材は何がいいのか、かいもく見当がつかなかった。
行者が聞いた神からのお告げとは
「不動明王を峰仙という者に彫らせるように」さらに
「材は地元丹生川村の山中にある直径6尺(およそ1m80cm)の
栃の木で造れ」というものだった。
行者は峰仙という彫刻家も、そのような栃の木が山中にあることも知らず、
お告げのとおりに若い彫刻家峰仙と見事な栃の木を探し出したのだ。
白羽の矢が立った峰仙も子どものころに不思議な体験をしており、
夢の中で何度も不動明王が出てきたという。
峰仙は白装束で身を清め、夢の中でなんども出てきたイメージを
栃の木に刻み込んだ。
そして1年をかけ昭和10年、栃目不動明王は完成した。
ギョロリとむいた大きな目玉、右手には剣を。
左手には羂索(けんざく)を持つその姿は、
独学で仏師をめざした者のはじめての作品とは思えないできで、
「霊験あらたかな不動明王だ」とすぐに評判を呼んだ。
当時のわたしといえば霊験うんぬんよりも、
恐ろしい形相のお不動さんのいる建物はかっこうの遊び場だった。
いまおもえば、こどもながらにお不動さんには
ずいぶんと罰あたりなことをしたが、
こんなわたしにもご利益はいただけるだろうか。