■飛騨の峠
分水領を越えた列車がトンネルを抜け、
日本海側へ向かって下りはじめると、網棚に手を伸ばしたり、
荷物の整理をしはじめる人が必ずいる。
それに釣られて回りの乗客もそわそわしはじめ、
飛騨一の宮駅を過ぎる頃になると車内は一気に
ざわめいてくるのだ。
考えてみると宮峠は高山の人にとって
通過儀礼のような場所で、
無事帰ることができた安堵感を乗客に
与えてくれる不思議な峠だ。
飛騨高山は四方を山で囲まれているために、
富山へ行こうとすれば神原峠、
松本だと安房峠。さらに中津川だと舞台峠、
荘川へは軽岡峠といったぐあいに
必ず峠を越さなければならない。
ほかにも十三墓峠や天生峠、そして野麦峠などの
険しい峠もある。
車だとあっという間に峠を越してしまうので、
これといった感慨もなく通過してしまうが、
四月下旬の坂本トンネルは、繊細な春の気配を
まざまざと感じさせてくれた。
日陰に残る雪がようやく消えた飛騨側は、
「芽吹く」という感じで、丸裸になった木々の冬芽は
初々しい春の色に染まり、
ほころびはじめた葉がところどころで
若緑色に萌えていた。
ところがトンネルを抜け、飛騨から美濃に入ったとたん、
山は緑一色へと一変し、こずえは見えないほど
生い茂った若葉で包まれていたのだ。
わずか一キロちょっとトンネルの中を走っただけで、
峠は季節をこのようにがらっと変えてしまう。
そのことに僕は驚き、そしてハタと考えた。
「トンネルをぬけるとそこは雪国だった」で始まる
『雪国』や『伊豆の踊子』(いずれも川端康成)のように、
トンネルや峠はこちらとあちらを結ぶ境界線でありながら、
それを越すことで何か新しいものごとが起こりそうな
兆しを含んでいるのだ。