■山が近くにある
「山がこんなに近くにあるなんて信じられない」
車窓をながめ同乗者がこんなことを口にした。
飛騨人にとって目の前に山があるなんていうのは
ごくふつうのことで、とりあげて驚くようなことではない。
ところが都会の人にとっての“山”は、
平らな土地のはるか向こうにポツンとあるもので、
いつも遠い存在なのだ。
こどものようにはしゃぐ同乗者を見て笑っていた僕は、
それから八年をへて、全線開通した東海北陸道の下り線で、
「山がこんなに近くにあるなんて信じられない」と
つぶやいていた。
清見から五箇山間は東海北陸道のなかでもいちばん山深いところ。
山を分け入り、まさに秘境へ向かうというような
高揚感を抱きながら、ハンドルを握った。
ところが走れど走れどトンネルの連続で、
あれよあれよというまに五箇山を抜けてしまったのだ。
それでもトンネルの切れ目のわずかな一瞬を利用し、
コマ切れで見る景色は断片的ゆえに印象は深く、
それを想像という接着剤でひとつひとつを繋ぐと、
ただものらしからぬ秘境の片鱗を感じることができた。
やがて秘境を抜けた車はいきなり
味気のない平野へとでた。
その時、僕はハタと考えた。
「飛騨は未知という魅力に溢れている」と。
写真左上/春を待つ焼岳