■雪かき
飛騨の人は国分寺の大イチョウを見て、
その年の雪の量を占う。
山吹いろに色づいた葉が少しづつ散れば暖冬で、
どさっとまとまって散ると豪雪だといわれているのだ。
じゃ、今年はどうなのか?と尋ねられたら、
わたしの見た感じでは、
ある朝どさっと散っていたように思う。
それを証明するように昨年の暮れから
日本はすっぽり寒気団に包まれ、
飛騨だけでなく九州まで雪に見舞われた。
あらゆるものを白くおおう雪景色は、
世界を一瞬にしてモノトーンにかえる。
観光客は白一色のなかに浮かぶ朱色の橋で記念撮影を。
写真家は雪が舞う古い町並みに人力車を見つけ、
シャッターを切るのだ。
しかし土地の人にとっては、雪は頭痛の種だ。
「ガリ、ガリ」「ザッ、ザッ」
住人は日がまだあけぬ早朝から家の前の雪をかく。
かく範囲は道路の半分まで。
その境目は測ったように正確だ。
勢いあまって向こうさままではかくようなことはしない。
そんなことをしたら、お礼にと向こうさんが翌日、
こちら側をかかなきゃいけない。
近所とのつきあいは毎日のことだから、
妙な気は使わないほうが楽なのである。
とはいえ町の中ほどほど老人が多く、雪かきは重労働で、
つい、手伝ってあげたくなるのが人情というものである。
「雪降ろししたかな?」
「もう2回も降ろしたぜな」
「そこはぎょうさん降ったんやな」
「もう、いらんわ」
こんな会話が町のいたるところで飛び交うのが、
冬の飛騨なのである。