飛騨びとは蒙古型のボヘミアン。
飛騨びとのルーツに好奇心を抱いた研究者がいる。
一人は白痴や堕落論で有名な新文学の旗手『坂口安吾』。
そしてもう一人は筑波大学名誉教授『住斉(すみひとし』(高山出身)だ。
坂口安吾は歴史研究者という立場から解釈に解釈を重ね、
『飛騨の顔』というエッセーでそれを書き発表した。
住斉は飛騨びとからミトコンドリアDNAを採取し、
そこから事実を抽出した。
両者はまったく異なる方向からこの謎に迫った訳だ。
住氏が注目したミトコンドリアDNAというのは
母親を介してのみ受け継がれる遺伝子で、
それを構成する塩基配列が一万年遡っても変わらないという。
さらにもう一つ重要なポイントがある。
飛騨の地形は四方を山々に囲まれ切り立った岩山や、
深い谷が砦のように立ちはだかり、
諸国に出るのも、来るのも容易ではなかったこと。
(こうした地形は全国では稀である)
つまり、飛騨へは他国からの人の流入が困難で、
明治・大正生れの女性は生っ粋の飛騨びとだった確率が高い。
もし、あなたの母方の祖母、または母が明治・大正生れであれば、
あなたのミトコンドリアDNAを調べれば、
一万年前の飛騨びとはどんな人だったかがわかるのだ。
さて肝心の解析結果はどうだったのか。
飛騨びとは弥生人とは異なる塩基配列を持った『縄文人の子孫』で
あるというのがその答えだ。
高杉晋作に代表される長州人をはじめ、
京都・奈良や美濃・尾張の人は弥生人の子孫で、
西郷隆盛に代表される薩摩人、そしてアイヌは縄文人の子孫だ。
教授を中心にしたこの研究によって、
日本の南と北に生息する縄文人とは異なる本土型縄文人の子孫が
飛騨にいることがわかり、飛騨びとは弥生以前からこの中部に生息してきた
本当の日本人の子孫ということになる。
考えてみれば、これは凄いことで飛騨びとは大和朝廷が
日本に入ってくる以前から日本にいた『元祖日本人』の子孫ということになる。
しかし、これだけではイメージがどうもピンと来ない。
大和朝廷の前で逆らっても意志を主張した飛騨びとにふさわしいイメージが、
『坂口安吾』の『飛騨の顔』の中にあった。
私はそれこそが飛騨びとのルーツだと頑に信じている。
「蒙古型のボヘミアン。常に高原に居を構え、
馬によって北アルプスを尾根伝いに走ったり、
乗鞍と穂高の間のアワ峠や乗鞍と御岳の間の
野麦峠を風のように走っていた。その首長は白馬に乗っていた」
写真/研究室で