■水の記憶
橋の上からキラキラと春の日ざしを浴びた宮川をみた。
水のなかで泳ぐ魚たちを眺めていたら、
あれ以来潜ることがなくなった水の記憶がよみがえってきた。
昔の子どもたちはプールではなく川で泳ぎを覚えた。
そこでは白帽子につける赤線の数を競うようなことはなく、
顔をちょっと水につけさえすれば、
誰でも不思議な水の世界が楽しめたものだ。
水中メガネは足元の近くで群れになって泳ぐ稚魚を映し、
流れの速い瀬の下では、
若鮎が右往左往に目まぐるしく動き回るのが面白いように観察できた。
やがて深く潜れるようになると、
透明な水の心地よさ、不思議な浮遊感が体に翅をひろげ、
重力から解き放たれた自在感に魅了された。
こうして泳ぐすべも、潜るすべも川で身につけ、
こどもは水の味を肌で覚え、水と馴染みを重ねた。
水がぬるむ春さき。
触れてみると夏とくらべようがないくらい冷たい。
そしてガラスのように透き通っている。
人は橋の上からのぞきさえすれば、
だれもが魚の姿を見ることができる。
眺めているだけで、碧の世界にひきこまれそうな、
そんな川を持っていることのしあわせ。
高山に住む人にしたら日常茶飯事の光景だからこそ、
おざなりにしたくないものだ。
写真/高山の鯉はこんな清流のなかを泳いでいる。