飛騨の細道 73-「本当のような嘘のような」


■本当のような嘘のような

動物好きの人と話しをしていたとき、信じがたいことで場が盛り上がった。
話しの中味というのは「動物は人が話すことを理解できるか否か」
ということだったのだが、その人はまちがいなく
「できる」というのである。

どのような根拠があってそういうのか、
耳を傾けると、「ノラ猫の親子が庭へふらりとやってきたんや」と
話しはじめた。
回りが畑で庭も広い。さらに昔ながらの大きな民家に住んでいるその人は
性格がのんびりしていることも手伝って、
三匹ものノラ猫が住みついてしまった。

その方は新たにやってきた子連れの親猫を見るや、
「よかったら他の子どもも連れておいで」と声をかけた。
すると翌日、親猫はなんと子猫を八匹も連れて庭にやってきてしまった。

まさか本当にやってくるとは思わなかった家主は、
つらそうにしてこういった。
「ごめんね、本当に来てくれたのはうれしいけれど、
私の家族に見つかると大変だから、明日になったらどこかへ行くんだよ」と、
お願いし餌を与えた。
翌日、庭へいくと親猫と子猫八匹はどこかへ消えてしまっていた。
 
消えた猫を発見したのはそれから数カ月後のこと。
親子はちかくの神社の縁の下でなかよく暮らしていたのサ。

ところで最近、高山の町なかで野良猫に出逢うことがとんと少なくなった。
横丁や路地裏、塀の上をわがもの顔でのさばる猫がいなくなってしまった。

昼間なのに通りという通りがシーンとしていて、生き物の息遣いが聞こえない。
たまに出会っても人間の暮しぶりに影響されたように早足で駆け抜け、
消えてしまう。
いまの時代、住み難いのは何も人間だけではないようだ。