■五月のゆかた
時代絵巻のような装束をまとった演奏者。
しょうやひちきりなどの和楽器の調べが流れるなか、
裃姿の男たちがそのあとへと続く。
祭礼には日本の古き良きしきたりや慣習がかろうじて残っているが、
さいわいにも飛騨には春・秋の高山祭りをはじめとし、
たくさんの祭りがある。
全国を見渡しても裃や装束を若者が着こなすような町はなく、
祭礼でみかける彼らは正直いってカッコイイ。
ほんとうのところは町内に住むための必須条件で、
親父に「ことしはお前が出ろ!」なんていわれてしぶしぶ出ているのだが……。
それでも彼らは仕事をやすみ丸一日、神様に奉仕する。
そこで高山では祭礼に着る裃や着物などを観光客にレンタルし、
「あなたもタイムスリップしてみませんか?」と囁きはするのだが、
古い町並みあたりを闊歩している姿を目にすると、
こちらがはずかしくなるほど、そこだけが浮いてしまっている。
先日、古いまちかどの空気が妙にざわめいているような感じがして、
思わずその一角に目をむけた。
みると色とりどりの浴衣をきた三世代同伴の家族が自販機のまえにいた。
夏の宵ならあらためて見ることもなかったのだが、
五月の夕暮れどきの浴衣は妙に考えさせられる。
どこから来てどこに泊まっているのだろうか?
2世帯家族なのだろうか?
あの若者は息子なのだろうか、いや婿に違いないなどと、
あれこれ詮索がはじまる。