■飛騨の匠/その1
謎が多い飛騨でいまだ論議の的になるのが
『両面宿儺(りょうめんすくな)』である。
風貌は顔が後ろ前に二つ、手足が四本、
さらに手には弓矢、剣を持っており、
いたって動きは俊敏で怪力という妖怪で、
仁徳天皇(西暦三七八年頃)の時代に飛騨に登場したと
日本書記には書かれている。
この両面宿儺が朝廷に反逆し民衆を苦しめていたのだが、
朝廷が差し向けた武将によりこの妖怪は退治された。
それ以降、飛騨への朝廷の風当たりが強く、
国が行う建築事業に祖税の代わりに『工人(こうにん)』を
差し出していたというのが定説である。
一方では飛騨の地は日本国の中でも古代より良質の木材を産し、
伐採技術だけでなく、手斧(ちょうな)や差し金、
墨壷という三種の神器を使う術を持ち合わせており、
それに目を付けた朝廷が『飛騨の匠』を招き入れたという説がある。
朝廷から見て悪者扱いの前者より、両面宿儺を英雄、恩人と考え、
信仰の対象としている飛騨国や美濃国の考えの方が発展的ではなかろうか。
「両面宿儺は妖怪か、英雄か?」その答えを裏づけるような史実が、
隣町、飛騨市の宮殿遺構から出てきており、さらなる想像を掻き立てる。
飛騨市の古川町より北へ車で十五分ほど走ったところに杉崎廃寺があるが、
これまでの発掘調査により、七世紀末葉に創建された
白鳳時代の寺院跡であることが明らかになっている。
写真/かつての伽藍跡地