飛騨の細道 95-「江馬の会所」


■江馬の会所

高山を代表する文学作家には瀧井孝作、
早船ちよ、江馬修などがあげられる。

瀧井氏は1935年には芥川賞の選考委員になり、
早船ちよは「キューポラのある町」を書いた。
これは映画となり、今村昌平が早船ちよの原作をもとに脚本をてがけ、
二大スターの吉永さゆりと浜田光夫が主役を演じた。
そして江馬修(えまなかし)は「山の民」を書き、
プロレタリア作家として、中国(中華人民共和国)では
最も有名な作家になった。
そこで江馬の名前がでたところで閑話休題。

前々から飛騨神岡へ(高山から車で40分)行ったら、
門をくぐろうと思うところがあった。
それが江馬氏の会所。
屋敷の主は戦国時代に飛騨神岡を治めていた
殿様の江馬氏である。

昔からこのあたりには大きな石が水田のなかにあって、
地元の人たちは「江馬の殿様の庭の石」と言い伝えていた。
市はようやく腰をあげ、
1976年から2年をかけてあたりを発掘調査した。

やがて田んぼのなかから
伝承どおりの庭園をもつ武家屋敷跡が見つかり、
復元工事は文化庁の管轄の国史扱いとなった。

しかし残された資料はほんとんどなく、
同時代に建立された建築デザインや絵巻物などを参考にしながら、
庭園や建物、室内、そして土塀や主門、掘などの意匠を考案。
いずれも当時の工法で再現しなければならず、
当事者たちは大変苦労したという。

見ると会所の壁には土を使い、当時の工法で忠実に再現。
壁の表面にわらが見え隠れし、
漆喰壁とはひと味違った風合いがかえってモダンである。
(建物を囲む塀は厚さ80cmで土の層を複雑に組み合わせている)
建物は総檜づくり。書院などの天板にはけやきが使われていたが、
ふすまはすべてまっ白で軸もない。
文化庁が扱う国史跡では、
根拠のない絵を使うことは御法度のようだ。

伊藤若冲を秘蔵にしているお寺や桂離宮などには、
それこそ目を見張るような意匠による文化財が、
随所で見ることができるが、
江馬氏の会所の無垢の空間にはそうしたものはいっさいない。
それが却って日本古来の神社と同じ空気が漂い、
清さと潔さが訪れる人の心を鎮める。

観光施設として紹介しても訪れる人はまだまだ少なく、
3間続きの部屋を使い、枯山水の庭園を眺めながらの食事会や、
お弁当を広げることもOKだと聞いた。
(重文なのにいいのかな?)

障子戸をすべて開け放ち、
初秋の風を受けながら枯山水の庭園を眺めると、
その左手むこうの小高い山の木立越しに空が抜ける箇所が見える。
そこが北飛騨を制圧していた江馬氏の高原城跡だ。

やがて江馬氏の野望は三木によって滅ぼされてしまうのだが……。