飛騨の細道 98-「一ツのクモリもなく」


■一ツのクモリもなく

「開運!なんでも鑑定団」という番組がある。
もとのはじまりは
「偽のお宝を自信満々に持ち込むような学のない金持ちを集め、
その鼻を折る」というネガティブな発想から生まれた企画だというが、
6年たった今も人気は衰えない。

一寸法師の打ち出の小槌とか河童の手のミイラなど、
鑑定不能なお宝は別として、
飛騨には中央の美術愛好家や歴史家が涎をたらすような匠の名作が、
名もない寺に未だ隠されているような気がする。

そういえば小説家の坂口安吾はそのむかし飛騨高山を訪れた際 、
地元のタクシーの運転手の導きによって秘仏にであい、痛く感動したという。
そのときの様子が「坂口安吾全集8の飛騨の顔/ちくま書房」に
描かれているので紹介したい。

私の見たものでは国分寺の本尊、
伝行基作の薬師座像と観音立像がすばらしかった。
これこそはヒダのタクミという以外に作者の固有の名を失った伝統があって、
はじめて生まれてくるような名作である。

「美しいなア」
私は思わず叫び声をあげて見とれた。
まったく、叫んで、見とれるだけの仏像である。
(抜粋)

もったいぶった言い回しや修辞のない、
坂口安吾の素の感想に興味をおぼえた私は、
読後10年を経て、国分寺の本堂へと出向いた。

住職の案内で庫裏から渡り廊下を歩き、
室町時代に建立されたという本堂に入る。
「そうかね、坂口安吾はそんなことを申しておったかな」
どこかうれしげな表情を浮かべる住職。

本堂に足を踏み入れると、なかはうす暗く、
三体の仏像が須弥壇の向こうに浮かんでいるように見えた。

住職の勧めるまま、私は内陣まで入り薬師座像とご対面した。
奈良の大仏殿の大仏様なんかと比べると、顔の肉付きがいい。
まぶたは心持ち大きく、口は逆に小さくて、
全体からはどこか素朴な感じを抱くが、それでいてどこにも隙間がない。

仏身から発する光明をかたどった光背は、
飾りが施されていない分、蓮の葉と相まって神秘めいた深さを放ち、
見る人を幻想的な恍惚の世界へと誘う。

まさに坂口安吾がいう、一ツのクモリもなく、
一ツのチリもない秘仏が、ここには眠っていた。


写真/薬師座像・観音立像は国指定の重文。
(国分寺所蔵)要/拝観料

コメント

  1. 原田尚幸 より:

    昨夜はお疲れさまでした。

    写真が綺麗でとても上品なブログですね。
    今後も長〜く続けてください。

  2. 書き手 より:

    今夜は大変でしたね。
    早く帰るつもりが「どつぼにはまった」という感じでした。
    コメントありがとうございます。
    言われないとそのままでした。
    なにぶん確認慣れしていなくて。