■日本の音
啄木の中学生時代の詩に 「夏の朝」と題し、
静けき朝に 音を立てゝ
白き蓮の 花咲きぬ…
というのがある。
蓮は未明の3時から5時くらいの、
ものの形がさだかでない時刻に「ポン・パン・キュッ」などど
音をたて開くなどと、昔から言われていた。
蓮の権威である大賀一郎博士は、花梗の頭に集音マイクをとりつけ、
当時の真空管式増幅器で、約五百倍に増幅したが、
花弁が開くさいに振動はあったものの音はしなかったという。
蓮はいうまでもなく仏教と深くかかわっており、
蓮の開花音を聞いて悟りをひらくというようなことがまことしやかに
言われていたのではないか。
一種に幻聴か、願望がつよすぎ、鯉などが水面でパクッとやったり、
おびれで水をパシッと打ったり、
昆虫が水面に落ちた音にちがいないと博士は言うのだ。
博士が蓮の開花音を否定しても、
それでも心のなかに開花の音は聞こえてきそうで、
たしかにそれは日本の音にちがいない。
そんな蓮の美しいのは咲き始めから散り際までの4日ほど。
咲く、閉じる、咲く、閉じるを3回くりかえすと不思議と
4回目に花弁が散る。散ると蜂の巣のような花托がのこり、
夏の陽をあびながらしだいに乾燥して果托となる。
飛騨の下町風情をいまだに残す江名子川界隈には
ふたつの小さなお寺が並んで建っている。
ひとつは暎芳寺、もうひとつは称讚寺。そのふたつに挟まれた細い参道は、
夕方には鉄の扉で道は固く閉ざされてしまうが、早朝になると再び開かれ、
「ごぼうさま(高山別院の別名)」の名前とともに
地元の人が安川通りへとぬける近道として親しまれている。
坂の途中、大きなケヤキを目印に歩くと、
右手に大きな蓮池が見える。(飛騨ではここだけ)木陰がつくる展望台は、
涼をとるには格好の場所で、大きな石垣が左手から池へ。
さらに池を囲むようにしてカギ型にお墓がならぶが、
ここには西方の浄土を絵にして見ているような、
詩情豊かな空間が醸し出されている。