飛騨の細道 159-「一杯の支那そば」


■一杯の支那そば

京都のように大きな町なら、観光客も分散するのだが、
なにせ小京都ゆえに器は小さく、
国内外の個人からグループ客、
さらには修学旅行の中学生が入り乱れるのが高山だ。

新緑がまぶしい初夏、
町の中心部は白のシャツが右往左往する。
不景気は子どもたちの財布にも影響しているようで、
一つのラーメンを四人で分けあって食べる中学生がいる。
彼女(彼ら)は数人でやってきて、
ラーメンを一人前だけ注文する。

店主はそれでも水やおしぼり、
さらには小鉢まで人数分だす。
もちろんいただく料金は一人分。

主人は業を煮やし、
外に張り紙をすると言っていたが、
若者のモラル低下だけが原因ではあるまい。

人気度を観光客数で測るような時代は
とうに終わっており、
「来ていただけるんなら、どんな観光客でも」という
おもねる受け入れ側にも大きな問題があるのだ。