■峠に思いを馳せて
高山から荘川、そして白川郷へと続く国道158号線(白川街道)には、
三つの大きな難所がある。
小鳥(おどり)、松ノ木、軽岡という峠である。
この時期、峠へ向かえば秋草を白く覆う朝露や、
薄もえぎ色した栗のイガやススキの穂が風に揺れていて、
気配を消しながらそっと忍び寄ってくる秋を感じることができる。
とはいえ、あっという間に峠を通り過ぎてしまう車では、
坂道のキツさや登り切ったときの達成感。
ノドを潤す冷水の美味しさは、想像することすらないだろう。
ところが言葉には不思議な魔力が潜み、
見えないものを感じさせる創造力を持っているのだ。
これは車がなかった頃の話である。
三つの大きな峠を越した先にある在所に赴任する教員の間では、
妙な名前で峠を呼んでいた。
第一の関所の小鳥峠は”びっくり峠”。
第二の関所の松ノ木峠は”思案峠”。
第三の関所の軽岡峠は”辞職峠”。
びっくりして、やがて思案しはじめ、ついに辞職するという、
実に妙を得た名前で見立ててあるのだ。
”ひと山越せば”などと人生に例えられる峠だが、
そこには人間の哀愁のようなものが見え隠れし、
飛騨の峠は泉鏡花や山本茂美らの文士によって、
さらに深く語られている。
写真/重なりあう飛騨の峰