飛騨の細道 195-「笑みはなにものにも代え難い 」


■笑みはなにものにも代え難い

アフガニスタンのバーミヤーンの魔崖仏が、
ターリバーンによって破壊されたのは記憶に新しい。

その爆破の様子はTVでも流れ、
身の丈55mという巨大な大日如来と
35mの菩薩が一瞬にしてガレキと化した。

一面が赤茶けた大地に、廟のようにしてそそり立つ岩肌。
主のいない痕跡だけがそこに残っている風景は
なんともさみしい限りである。

一変して目を日本の魔崖仏に向ければ、
大きな岩は青々とした緑に包まれ、
大地にしみとおる清水が、岩肌を潤す。
豊かな自然が信仰と一体化しているうえに、
何よりもここには争いごとがないのがいい。

豊後の熊野魔崖仏や臼杵魔崖仏をはじめ、
日本は魔崖仏の宝庫ともいわれるが、
奈良や京都などの仏さまと違って、
磨崖仏は天然の岩肌に露出している。

自然を生かし、自然と一体となった美しさが磨崖仏にはあり、
日本の風土を色濃く映し出しているのだ。

さて話はいきなり飛騨の上宝町に飛ぶ。
上宝町を走る国道471号線沿いに、
岩井戸地区と呼ばれる小さな集落がある。

その東側の山の中腹を歩くこと30分。
杉の林の中に大きな岩が
重なり合うように立ちはだかってくる。

杓子のような形をしているところから
地元では杓子の岩屋と呼んでいるのだが、
息を切って山中まで訪れた人に、
湧き出る御神水と小さな馬頭観音像。
そして岩戸の奥の窟に鎮座する小さな祠だけでは、
なにかさみしくはないか。

できるならこの大きな岩肌に、
如来さまの磨崖仏が彫られていて、
訪れた人を神秘的な笑みで迎えてくれたらいい。

私のようにそんなことを夢想するような
石工はどこかにいないだろうか?