■青い目のお坊さん
知人の老師(現役を引退した禅宗のご住職)の出版を記念し、
兵庫県の山奥から青い目のお坊さんが高山へやってきた。
名前はリルケ無方僧侶、ドイツの西ベルリンで生まれた彼は、
幼少期に母をガンで亡くした。
その後、禅クラブへ誘われ、嫌々座禅を体験。
その時の経験がその後の人生を大きくかえるきっかけとなった。
やがて大学生として日本へ留学。勉強のかたわら京都の寺で座禅に明け暮れる。
大阪ではブルーシートで暮らす公園の人たちに混じり、自らもホームレスに。
そこで座禅を組み、若者のあいだで人気になるが、
禅をもっと学ぶために、現在のお寺へ雲水として入門した。
その後、安泰寺は兵庫県の山奥へ移り、
「お前が寺を継げ」と住職から言われる。
いまリルケ無方僧侶には弟子が5人ほどいる。
自分がかつて弟子のとき、「この寺で学ばせてほしい」とお願いすると、
師匠から「ここは学校ではない。教わるのではない。
自分がこの寺を作るんだという心構えで向かえ」と言われた。
ところがしばらくして厳しい修行のあまり愚痴を言うと
「お前なんかいなくてもいい」と叱られる。
師匠は「自分を捨てろ」と言いたかったのだが、
ドイツ人の雲水には師匠の思惑はわからない。
そんな日々を過ごしながら、日本にとけ込んで28年。
会場で話す日本語はあまりにも流暢で、
言葉尻に「させていただく」「このように思わせていただく」など、
日本人以上に謙虚さが体に身にしみていて驚く。
合理主義や個人主義のドイツ人が、日本で学んだ非合理的な思想。
「日本人には宗教はいらない」という著書をはじめ、
たくさんの本を書いているリルケ無方僧侶だが、
宗教のいらない理由は
「日本人にはも自然やまわりの人たちによって生かされているという
考えを持っているから」だという。
とはいえ、宗教観はお盆にお墓参りにいき、
クリスマスにはしゃぎ、
元旦には神社へ参拝し願掛けをする日本人。
「ここが変だよ、日本の仏教」というタイトルだったら
どれだけでも話ができるというリルケ氏は、
観光や形式化された葬式ビジネスの日本の仏教を批判もする。
たとえば日本には75000か寺のお寺があるが、
そのうち20,000か寺が禅宗。
ところが座禅ができるお寺は京都でも数えるくらいで、
ドイツで夢見た深遠なる禅は、
実際とは大きくかけ離れたものだったという。
現実と理想の狭間のなかで揺れる青い目の僧侶だが、
現実は檀家がいない寺だから托鉢をしながら、本を売りながら、
さらに自給自足をしなければならない。
そして弟子も育てなければならない。
そんな彼だからこそ、
日本の仏教関係者は彼から学ぶことが多いのではないだろうか。
写真/身振り手振りで語る禅僧