飛騨の細道 202-「お座敷文化に若い血を」


■お座敷文化に若い血を

お師匠さん”とお呼ばれる彼は30代。
この年齢ではまだまだ若造と言われても仕方がないが、
じつはキャリアは35年以上もある。

父は叔父が営む老舗料亭で板長をやっている。
母は経理。
叔母や従姉妹たちも料亭で働くなど、
この一族は料亭一色に染まっている。

そのせいもあって、座敷で踊る芸子さんを見て育った彼は、
3歳のとき見よう見まねで踊っていたという。

彼は中学を卒業すると同時に西川流の
宗家の元へ内弟子として入り、
上京。その後、19歳になると同時に素踊りで
有名な梅津貴昶に師事した。
梅津貴昶は舞踊家だけでなく振付師としても有名な方で
坂東玉三郎をはじめ中村勘三郎などの振付けを手がけているのだ。
彼も幾度か坂東玉三郎の振付けの助手をしながら、
歌舞伎舞踊の伝承や新たな創造に携わってきた。

歌舞伎界のサラブレッドとは違う道を歩みながら、
現在では東京と高山の稽古場を掛け持ちしながら、
たくさんのお弟子さんを育てている。

その一方では高山の座敷文化を後世に残そうと、
古くから伝わる長唄や民謡に新しい振り付けを加え、
座を盛り上げている。

最近ではお座敷遊びをする若い男性が少しずつ増え、
志村けんの”アイーン”を振り付けした
オリジナルの踊りの輪の中に入って楽しく踊るのだ。

こうした振り付けはすべてお弟子さんたちが
考えたというから驚く。
お師匠さんも、座敷の角で三味線を曵きながら、
場を盛り上げていた。