山寺・銀山温泉 銀山荘 3日間

2024年05月28(火)~05月30日(木)

~1日目~
飛騨から県営名古屋空港へ
「山形おいしい空港」からのに遅れが出て私達も少し待機
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15分遅れでビューン
飛騨を出発する時は
小雨で、の中でした。

山形おいしい空港から
20分ほどで、
先ずは力付け山形牛の昼食
(個人的バタバタしてランチ忘れてたm(_ _)m

なんせ1015段の階段
修行と信仰の「山寺」を控えてます
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慈覚大師円仁様って凄いよな~
山寺
瑞巌寺
中尊寺
毛越寺
を建立、それが今では
四寺回廊巡礼コースになっとる

長く続く山門手前に
根本中堂
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ブナ材で創られた建造物では日本最古の根本中堂

階段は一気に1015段では無く、
ジグザグする形式に
ジグ 踊り場
ザグ 踊り場
なので、一休み、
呼吸を整えて登れて
階段には手摺りが有ります

山寺での時間は
霧雨
この霧雨が幻想的な空気をくれました

慈覚大師の短冊が納められている「せみ塚」
不浄な人を通さぬ「仁王門」
開山堂と納経堂の真下に慈覚大師円仁様が祀られています

そして、みんながココからの風景を眺めたくて
1015段を上がってくる
五大堂

健脚な方は、その上の奥の院まで行かれてました

御詫び
頑張って私も上がって
せねば
が、
断念スミマセン

1日目の宿泊は
おしんの母(ふじ)が働いていた銀山温泉
おしん(小林綾子さん)が母に会いに行き、
紅をさし、着物を着た母(泉ピン子さん)を見て

「母ちゃんキレイだなぁ~

と再会する

晩年のおしん(乙羽信子さん)が、人生を振り返るシーンも撮影された
銀山温泉野辺沢銀山の鉱夫が発見
銀採掘は衰退して、湯治場となり賑わった
けど、1913年大洪水に遭って、
地元財界の力で現在の銀山川沿いに
モダンな旅館が建ち並ぶ銀山温泉に生まれ変わりました

が、銀山川沿いの旅館の予約は、
2年先まで出来ないほどの人気

今回の銀山荘は
坂道を5分下れば、ガス燈が灯る銀山川と「千と千尋の神隠し」を思わせる
「能登屋」をはじめ
レトロな空間に行ける
お部屋からの風景は
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大きな1枚ガラスが
自然美の絵のようでした

湯上がりゾーンには、
ソフトドリンク
生ビール
アイスキャンディ
「ご自由にどうぞ」

エエーーーーーッ?
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うひゃ~〜〜ゾーン

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銀山荘の真正面の山を
借景とした素晴らしさ

夜食は創作料理
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器もステキやァ〜

手作り感いっぱい

お醤油入れたら♥に
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山形県の内陸部に位置する銀山温泉やけど、
海の物、新鮮さは流石山形県

そして山形牛
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と、芋煮〜
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で、なんと
湯上がりゾーンだけでなく
お夜食処でも
好きなだけ呑んで〜
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ウソぉ゙〜ん

マジでぇ〜?

中居さん2、3人で注文受けて〜バタバタとテーブルに運んで〜
より、良いのかもね

ここで2つ目の御詫び
台風1号の影響が宿到着から翌朝まで有り暴風雨
あの
大正ロマンの色を魅せる銀山温泉を
せねば
暴風雨に怯み撮影に行けませんでした

~2日目~
朝ご飯のお部屋
こちらも窓から揺らぐ木々を
動く絵画の様でした
(台風1号の影響やけど
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蓋を開けるのが楽しみ

そして朝食も可愛らしい器
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うりゃ

こりゃ

ほりゃ

きりが無いので全体
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イラストでお料理の説明がありました
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「銀山温泉」と記された御土産は、
銀山温泉でしか手に入らないので、
出発前にお買物

私の1人暴風雨に立ち向かう勇気の無さで
1枚も銀山温泉街を撮影出来ずスミマセン

銀山荘さんからは坂道を下って直ぐ、
銀山川下流から上流
有名な「能登屋」さんへ向けて散策出来、
足湯、素敵なカフェ、パン屋さん、などのSHOPも、
「大正時代」「和の世界」を汚さぬ様にお店があり、

銀山荘さんの玄関には
傘、長靴、散策マップ、足湯にどーぞのタオルが用意されてました
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さて、向かうは、
現在過去未来

安全浄化希望
を五感で堪能の
出羽三山神社へ
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フロントの方々はじめ
食事会場、売店、廊下ですれ違うSTAFFさん、
とにかく爽やかな笑顔と対応をして下さる「銀山荘」さんでした

出羽三山神社へ向かう途中、
最上川の水は昨夕からの台風の影響で茶色

途中、最上川舟下り下船場が近い
白糸の滝ドライブインで
休憩

最上48滝
日本の滝100選の1つ
  白糸の滝
    ↓↓↓↓

そして、出羽三山をお勉強するにはココ見るべし

いでは文化記念館

令和の現在でも山伏の姿と法螺貝が響く出羽三山
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「いでは」の名称は「出羽」

ドイツ語のidea
イディア=理想理念

この文化記念館から
現地ガイドさんがご案内してくださり、

現在でも修行に参加する方々が多く
女性は3泊コースがあり
ガイドさんも参加された時の体験を話してくれました

そして、雨がやんだ山の色に私達が入る

時空を越えた感じ
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うっとり
出羽三山って聞けば、五重の塔も有名です

が、

令和5年5月〜6年9月末まで
茅葺き屋根改修工事のため幕の中

今回は見学せずです

修繕には、
飛騨高山の職人さんが携わっておられ、
週末帰宅されとると

歩く過程は、緩やかな上り下りの坂

樹齢1000年前後の杉の大木を作り上げた、
横に這う太い根っこを上手く跨いで歩く

鏡池に辿り着くと
修行の方々の列が
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アカンズームや〜

ゲームばっかしたり
YouTubeばっか見たり
アレしたりコレしたり
アレ欲しいコレ欲しい

そんな我欲の欠片も無い御姿やぁ〜

反省

地図の上側↑↑↑羽黒山
鏡池の外周を進み

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出羽三山とは

羽黒山↓↓↓

大山祇命↑↑未来

月読命↓↓過去

稲倉魂命↓↓現在

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私達が立つ羽黒山が現在

三山を廻るには
特に月山や湯殿山の道のりは険しくて、

「ここで三山どうぞ
を観光の方々に与えて下さっとる

ので「三神合祭殿」とされとります

明治以前は神仏混合、
明治以降、神山となりました

芭蕉の奥の細道は、
スパイ活動説とかあるけどが〜、

死と再生の世界を求めた旅を記し、
大きな目的の1つが出羽三山だったと伝われとります

蜂子皇子の話をしましたが、
先ず出羽三山にしても
熊野三山にしても、
「道」を造る事から始まるから、
凄い信仰心だと感じる
石を運び、並べる、
石を刻み、並べる、

そんな中に、
   徳利と盃みっけ
     ↓↓↓↓

     ↑↑↑
山を開く大変な労力やったろうに、
信仰心の中には、
ワクワク感もありながら
出羽三山が出来上がってったのかなぁ
少しほっこり

雨はやんでる羽黒山中、
墨絵の中に居るみたいな
幻想的でした

霧の中を歩いて、
お昼ご飯〜↓↓↓

羽黒山にで近づく時に
宿坊が沢山並んでた

この「斎館」は「華蔵院」という三先達寺院だったけど、
神仏分離令により「斎館」に。

死と再生を辿る信仰の山
なので、
精進料理でございます
ココでも忘れた

「斎館」で食事して

鶴岡市内へGo〜
車内一休みTIME

本間美術館↓↓↓

1813年に建築
名勝「鶴舞園」、
本館「清遠閣」が庄内藩の豊かさを残してて、
幕府要人、明治からは皇族や政府高官が利用され

酒田の迎賓館
の役割をしてた


本間美術館に到着してから、☀
美術館内は催事準備中だったため、
「清遠閣」では専門ガイドさんの説明を聞きながら、
全国から運ばれた庭石が配置されたお庭を眺めて頂きました


5/29 2泊目のホテルへ
ビューーン
1泊目は緑に包まれた銀山温泉
2泊目は?

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そりゃあ☀ですわな~
海辺のお宿「一久」
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入口でおを脱いで、
オール畳〜
そして入口から真正面に
キャーーーッ
     ↓↓↓
                      ↑↑↑
☀日本海ぃぃーー
◎銀山温泉は
 無色透明 硫酸塩泉

◎湯野浜温泉「一久」は
 塩分が主成分の
 塩化物泉
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台風一過空気が澄んどる
陽射しがカアアアーッ

皆様には♨でのんびりしていただき
日没に備える館内
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あまりの陽射しでブラインドを下げ、
「お夕食の際に
お席から夕陽が見れる様
ブラインド上げますね
昨日だったら見えんかったわなぁ~
で、
ワクワク
     ↓↓↓

     ↑↑↑
ロビーラウンジはブラインド全開のまま

ワクワク〜ワクワク〜
     ↓↓↓
     
キターーーーーーッ

キタキターーーーーッ

二人をぉ〜〜
夕闇があああ〜〜
つぅつむぅ〜〜
そ〜の窓辺にぃ〜〜


      ↑↑↑
(シルエット、撮影許可頂いております)

ジュ、、、
      ↓↓↓

ジュジュぅぅ~ッ

キャーキャー
しながらの〜
夜食です
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みんなで絶賛のお刺身
また器や盛付けが素晴らしい


どれも味わうのに
丁度良い量
そして
全部ぜーんぶ
美味しかったあああー


一久さんの板前さん、
出汁の、味付けの、手抜きしてないのが解る

お刺身に「タコの吸盤」が添えてあるって、
滅多に無いし

    ↑↑↑
このナメコの大きさから、適量ずつお料理を出してくれてるのが
お解りいただけますかな?
このぐらいでエエんだすぅ〜
味わえる〜
残しちゃアカンってプレッシャーが無いモン〜

大満足のお夜食でした

で、
夜の海辺を眺める

海が黒
空が群青色

♨して

~3日目~
鶴岡市湯野浜温泉
3日目の朝ぁ~☀

山形県、
お米、美味しいわ~
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朝食です

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鮭の切り身で思う
新潟から北の鮭は、
裏切らんわぁ〜美味

日本海の夕陽って
新潟から北は「赤」が映える

雨、暴風雨、霧雨から
後半☀燦々

日本海の朝の色
水平線もキラキラ

お料理もとっても美味しかった湯野浜温泉「一久」を
出発ぅ〜

酒田の港が近い
最上川河口エリアの
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      鳥海山

3日目でやっと山の容姿
酒田市山居倉庫に来ました
朗らかに解りやすくご案内して下さる現地ガイドさん
     ↓↓↓

「おしん」を語れば止まらぬ

おしんの母(ピン子さん)が米俵を運ぶ仕事シーンが撮影された
山居倉庫

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この日、メンテナンス中の為、ロケに使われた場所に高所作業車
切妻屋根が連なる山居倉庫
湿気、熱気、害虫
いろんな工夫があらゆる所にあるんです〜

_φ(・_・昔の人の知恵って
スゴいわ~

ケヤキ並木は直射日光避け
(高所作業車がいない側)
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皆で驚いた写真パネル
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うッうッうそぉ〜ン
米俵じゃ無い時代になっても
どんだけ~?
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以前まで、このように保管されていた
(写真パネル)

最上川河口近い山居倉庫
庄内米、紅花、いろんな物資を最上川急流を利用して運ばれた
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昨日見学した本間美術館内庭園の
日本中の名石も、北前船寄港地だった酒田港に到着
本間邸に運ばれた凄い
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最上川から人工的に新井田川を引いて
舟を着ける様に工夫された

山居橋と鳥海山

町並みを背に山居倉庫側を
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山居事務所が残されてて
塀よりを守っとる泊
     ↓↓↓

これもグルグル凄い〜
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お土産コーナー等がある
「夢の倶楽ゆめのくら」
その奥に
が演じた「おしん」のシーン
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母ちゃん母ちゃん母ちゃん母ちゃーん
はッ
父ちゃん父ちゃん
父ちゃーーーん

おしーーーーーんッ

山形県天童市出身
人形作家 大滝博子さんの作品で
「おしん」の名シーンが展示されてました
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さて、山居倉庫をあとにして

このブログを見て下さってる方に
是非、見て頂きたい番組が有ります。

「テレメンタリー2023」
「私は耳が不自由です」

を観て頂きたい

敢えてここには記しませんが、
20歳で舞妓の世界に入った鈴千代さん

師匠の芸姑 小鈴さん
の日々進む姿が紹介されています

YouTubeでもご覧頂けるので、是非

その鈴千代さんが入口で迎えてくれた
「相馬樓」へ
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鈴千代さんの舞妓姿を見て泣きそうでした

しかーし 

お抹茶や
ランチ等を頼めば、鈴千代さんや舞妓さんが接待をしてくれて、


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お食事やの間

みんなで頼めば良かったな~
でも今日は帰る日やもんな〜

酒田港が有り
庄内米や都で必要とされた紅花、
庄内藩の時代から続く宴の場所がいくつも残されてて、
その1つ「相馬樓」

紅で染めた畳
交互に組合せた畳の色合い
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歪みが懐かしい
今では貴重な「型板ガラス」
2階の廊下
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中庭を囲む様に
レトロな会議室
宴会の間
等、幾つも素敵な広間が有りました


飛騨もそうやけど、
古い物を残す大切さを感じさせてくれる「相馬樓」でした

今回したマンホール
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     ↑↑↑
なかなかカラーマンホールが無くて
この2枚

庄内物産館で昼食
忘れたまただよ
一路
ドライバーさん1人に「時間」というプレッシャーを背負わせ
山形おいしい空港へ
山形自動車道酒田〜鶴岡〜湯殿山ICから
国道112ねえねえ
↑↑↑↑
信号少ないし
利用少ないし
いいトンネル幾つも造ったし
月山ICまで国道のままで良く無い?

で、鳥海山が見えてた庄内平野とお別れ
月山ICからは
湯殿山月山蔵王連峰等が見えました

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こんなにいろんな色があるんやね~

山形おいしい空港
から
県営名古屋空港
へは

この色でした~
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日の丸の2色って感じで
エエわ~

山形県以外の土は踏まない
銀山温泉と湯野浜温泉2泊

ご参加下さった皆様、
ありがとうございました

東北って、
県境跨がずに、
1県ずつ見で周った方が
イガベのぉ~